パラレルな世紀への跳躍 (集英社文庫)

パラレルな世紀への跳躍 (集英社文庫)

『"パラレルな世紀への跳躍"というこの本のタイトルは、連載当初は考えなかったが、前もって構成しないで書きたいという今の私の気持ちに合っている。
生の人間の生活は構成できない。振り返れば歴史は一繋がりに思えるが、その時々の出来事は突発的で断片的だ。人間の感情も、"ふと思う"ことの繰り返しだ。ふと思うことをぽつりぽつりと、断片的に書く。パラレルとは平行で交わらないことだ。断片的で交わらない感情を同時に感じている人間は、きっと感情と感情の間を跳躍している。』

    • -

『表現とは本当に不思議だと思う。最近、かなり昔に読んで、そのときはあまり意味もよくわからずやり過ごした文章をふと思い出し、急にその魅力に気づき、呼んだときから二十年以上も経過した今になって生き生きと感動することがある。読んでから二十年、その間思い出しもしなかったのにだ。(略)表現とは凄い。まるで時限爆弾のようだと思う。表現者とは、まさにテロリストだ。そんなことを考えていると、再び唐突に"檸檬爆弾"という言葉が蘇った。
二十年以上もの時間を跳躍してまるで今初めて目にしたもののように私の頭の中に表れたのは、梶井基次郎の「檸檬」だ。再び読み返し、「これだ」と思う。私が今感じたことがすでに八十年以上も前に表現されていて、かつての私がそれを読んで、未来の自分が感動する部分には、気づきもしなかったこと。この「檸檬」という短編自体が、まさに檸檬爆弾そのものであるということ。坂口安吾梶井基次郎はそれを知っていたのだろうか。自分達の表現が、これほど不滅であるということを。そして改めて思う。自分の表現もそういうものに近づけたいと。

二〇〇七年二月 爆笑問題大田光

これは先日読み終えた大田光著書のあとがきに書かれていたもの。むっごんが貸してくれたやつ。
これを読み終えた何日か後に、むっごんの誘いで神保町にある東京都国立近代美術館と恵比寿にある東京都写真美術館に行ってきた。とっても楽しい一日になった。むっごんは道路脇で、体を横たえてゴロゴロ坂道を転がっていた@恵比寿。いろんな表現に出会えた一日であった。


近代美術館では、「わたしいまめまいしたわ」というタイトルの自画像展を見た。http://www.momat.go.jp/Honkan/Self_Other/index.html:
印象にのこったのが、真ん中くらいの部屋のやつ。ある一点に注意が向くと、その一点以外の背景は霞んでしまう。霞む。霞んでしまうが、見えなくなるわけじゃない。どこかしらで感じていたりする。なんか、なんというか、あー、と思った。

東京都写真美術館ではstill/alaiveという大橋仁さんが参加してるやつと、文学の触覚とう"純文学と視覚芸術・メディアアートとの接点に焦点をあて、現代に活躍する文学作家とメディアアーティストのコラボレーション"のやつをみてきた。http://www.syabi.com/index.shtml
特に文学の触覚てににはすっごいわくわくした。これは楽しい。丸い真っ白なテーブルの上に手を出すと、小説の一文が手の上に落ちてくる!そいで手をぱっとよけると、真っ白いテーブルの上に言葉が落ちて、ゆらゆら消えていくんですよなんでか!そして私の好きな舞城さんのとこのがこれまたすごかった!舞城さんが、実際にキーボードに向かって文字を打ってるのだ。や、舞城さんはいないけど、キーボードが舞城さんが打っている速度でパチパチとなるんですよ。文字を打つ間とか、変換ミスとか、ほんとリアルで、more so realで、それはもうリアルに、はー、もう。なんなんだ。


ほで、この日見たものがいつか何かの拍子にぽこっと浮かんできて、「あ!」とか思って、今までになかった新しい感覚が自分の中で芽生えるのかと思った。



もう一冊読了

つーか大遅刻!
これからototoi kiyagareくじょーちゃん企画のライブへ行ってきます!おす!

ここ2,3日はポラリス檸檬をよく聞いている。
みなさんお元気ですか。
みんな元気。