再読 J.D.サリンジャー

私の中で2度目のサリンジャー面白い!月間が来ています。
傑作。

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

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1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。
――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。
ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら(いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない)と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。



あー!ホールデン
ホールデンはあったかいやつだよ!!!!そこらへんの鈍いやつにいちいち分析してほしくないわ貸し出し禁止とかにすんなよアメリカのどこの州か知らんけど!こら!ばか!ほんとの話!
ホールデンの語りが、なんだか自分に語っているような錯覚をうけるのですよ。それと妹フィービーとの会話のあの空気感とか、もーなんだか嬉しくなるよ。あとホールデンの語りまねしたくなっちまうじゃいか、まったくの話。
ほんの2,3日のことを、これだけ読ませるってすごい。
「僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。(略)ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」

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1953年に出版されたサリンジャーの自選短篇集。「グラース家の物語」の発端となるシーモアが登場する「A Perfect Day for Bananafish」、WASP中心のアメリカ社会で助けあいながら生きていくユダヤ人親子を描いた「Down at the Dinghy」、男女の不倫を描いた「Pretty Mouth and Green my Eyes」など、9つの作品が収められている。中には、ドイツ製のルガー拳銃の性能を証明するために、ヒヨコの頭を撃ち抜いたヘミングウェイの残忍性を風刺して書かれたといわれている、次のような作品もある。
ノルマンディー上陸作戦に向けて3週間続いた特殊訓練を終えたX軍曹は、喫茶店で1人の少女に声をかけられる。先ほど教会の児童合唱隊で、ひときわ美しい声で歌っていた少女だ。さびしそうにしていたから声をかけてみたと言う少女と、彼はつかの間の平穏なときを過ごす…。やがて戦争は終わるが、X軍曹は心身ともに深い傷を負う。ある日、彼は手元にあった小包を開く。中にはあのときの少女からの手紙と、彼女の父親の形見である腕時計が入っていた。2人が共に過ごした時間は、長い人生においてはほんの一瞬のできごとに過ぎない。それでも、少女の手紙には、彼に安堵の眠りと魂の救済をもたらす不思議な力があった。(「For Esme-with Love and Squalor」)

好きの理由なんて言葉にできないよ。と言ってしまいたい。もともこもないこと言ってしまいたい。あの、サリンジャーさんは、なんというか、すごく独特な物語をプレゼントしてると思う、抽象的だな、、むーん。この本の感想って何だ、何だ、、それがいつか言葉となって実るまで、暖めてながら読んでいくよ!!?まとめられん。