「たとえようもなく 愛してゆけばいい」
このフレーズを聞いた時、頭の中でリンクしたフレーズがあった。
「ゆるしてしまえ どこまでも」前者はクラムボンfeat.ブルーハーブ。後者はapogee.
あと面白いと感じたリリックがブルーハーブの「諦めることを諦めろ」諦めろ、だったか諦めるだったかあやふやだ。btw,,,諦めるって言葉の選択が絶妙。

今日は仕事の面ではよくできた一日だった。そつなく仕事をこなすことが日々の目標で、ソツナク、というのが粗忽者の私には困難。だけど今日は割とできたように感じた。
25歳までに人の基本的な考え方だったか何だか忘れたけど何かが決まる、みたいな言葉を拾い読みして、この類の言葉は嫌いで、でももし、と考えてみる(言葉で書かれたもの限定)。今の私のものの見方、フレームを作ったのは、というか影響を与えたのは、ショーペンハウアーニーチェ、そして某テキストサイトショーペンハウアーニーチェの書いた物を読んだ時の震えるような喜びにはその時以来出会えていない。21歳くらいかな。気持ち悪い話し、その思想に触れられた時の絶頂感は性交の時のそれを凌駕した。肉体から感じるものよりも何かすごいエネルギーがあった。言葉が見つからないので叫ぶしかない。本当にあほみたいに嬉しい時って叫ぶしかない。最高!とかって言葉が空っぽに思える。

テキストサイトの人が、結婚していたこと、妊娠していたこと、流産したことを今朝一度に知った。言葉が見つからなかった。そしてその人は書いていた。「悲しみや苦しみを訴えることはいけないことじゃない。自分を被害者として訴えることがいけないんだ」というようなことを書いていた。どんな、どんな気持ちでいるだろう。癒えるだろうか。

某友人と電話。大切な人達のことは毎日頭の中に浮かび、元気だろうかと考えるけれど、月に一度電話したりするくらい。会える距離にいても頻繁には会わない。

馬鹿な私の唯一の救いが、自分が馬鹿であることを知っていること。だとふんわり思っていたけど、私は自分がどれだけ馬鹿か全然わかってない馬鹿。かば!