不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望 (文春新書)

不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望 (文春新書)

P142「より悲惨で、より大きな不幸を未然に防ぐべく、差し当たって小さな不幸を自ら引き起こして事態を収めようといった心の働きないしは精神構造が誰にもア・プリオリに備わっているのではないか。」
引用

P110 近似値としての言葉(2)
 世の中には実にたくさんの言葉がある筈なのに、まさに「ぴったり」といった言葉はなかなか見つかるものではない。そうなると、せめて「いくぶんピントは外れるのだけれど、まあ似たような」言葉を流用して我慢するしかない。いつも我慢していると精神的に耐えきれなくなるので、人間とは不思議なもので次第に適応していく。 つまり、既成の言葉に感じ方や思考のほうを微妙に迎合させていくのである。言葉の網目からこぼれ落ちるような特異なニュアンスには関与しないようにする。これが生活の知恵というものである。(もちろん無意識レベルで行われるのであるが。)そして既成の言葉の編み目で掬いきれないものを鋭敏に感じ取ったり表現することは、もっぱら詩人の仕事ということになる。

P138-9
 根本橋夫「人と接するのがつらい−人間関係の自我心理学−」という本を読んでいたら、幼児期に親からあたえられつづけ心に刷り込まれた禁止令――同書からそのまま引用すると、「「禁止令」とは、「××してはいけない」というかたちの呪文で、あなたの意識と行動を縛りつけ、のちに述べる人生脚本の基礎となり、また人生脚本を現実化させる作用を果たすものです」―がもたらす様々な反自然的な行動が列挙されていて、非常に興味深かった。たとえば「(…)子供に凌駕されることを恐れる親や、「しょうがないわねぇ」と手助けをすることで自分たちの存在価値を認識したがる親からは「成功してはいけない」といった禁止令がもたらされ、それがために、完璧な成功を収めると満足感よりも逆に不安を感じるようになるとう。入学試験でうっかり受験番号を書き忘れる行動にも、そのような心理が隠されていることがあるという。
(…)禁止令と親和性を持ったものが誰の心んも潜んでいるのではないかと私は考えたくなるのである。禁止令によって、潜在していた不幸への指向性が活性化する。しかし、そのような自己保存の本能とは相容れない要素が存在していること自体が、不合理としかいいようがない。」